こちら、八王子のゆるきゃらのひとつ、松姫マッピーちゃん。
松姫様は八王子の地に残った歴史上の人物です。
松姫様のおいたちから八王子へ移ってきた歴史を覗いてみます。。。
松姫は永禄4年(1561年)に古府中(今の甲府市)の
つつじが崎の屋敷で生まれました。父は戦国時代の武将の
一人で甲斐の国(今の山梨県)を中心に活躍した武田信玄で
母は油川信友の娘です。
永禄10年(1567年)11月、松姫が7歳の時に織田信長の
11歳の長男、織田信忠(幼名は奇妙丸「きみょうまる」)と
婚約しました。結婚のお祝いの品は帯や布地、織物、金・銀の
細工物、虎やヒョウの毛皮など豪華な品々がやりとりされました。
この時代の身分の高い人たちの結婚は「政略結婚」といって、
家同士の結びつきを強めるために本人の意思と関係なく親が
決めていました。結婚式まで相手の顔を見ないこともあった
そうです。
元亀2年(1571年)、松姫が11歳の時に母が亡くなり
翌年に「三方が原の合戦」の時に織田の軍団が武田と敵対し
ていた徳川の軍勢に加勢したため、武田家と織田家が敵・
味方に分かれてしまったため、松姫と信忠との婚約が解消さ
れてしまいます。
さらに、天正元年(1573年)4月には父・信玄が亡くなり
織田家は武田家を滅ぼそうと攻めるようになり、武田家が
滅亡する天正10年(1582年)1月下旬、松姫は、
留まっていた兄の仁科盛信の高遠城(たかとおじょう)に
織田軍がせめてくることの知らせに、兄の3歳になる姫を
連れて高遠城を逃れました。
その後、新府城に行って兄の勝頼の4歳になる姫と、人質と
して預っていた小山田信茂の4歳になる姫も加え、少ない
供を連れて逃げ延びて行きました。
高遠城(長野県高遠)から → 新府城(山梨県韮崎)→
入明寺(甲府市)→ 開桃寺(今の海島寺・塩山市)→
向獄寺(塩山市)→ 金照庵という古寺(八王子市上恩方)
まで、幼い姫たちを連れて逃げ延びてきました。
天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変が起こり、
武田家を滅ぼした織田信長、信忠が亡くなり、その年の秋、
金照庵から心源院(八王子市下恩方)に移り、髪を切り、
尼さんになって、信忠をはじめ、武田家一族の人たちの冥福を
祈りました。
そして松姫さまは尼さんになって「信松尼」という名に変わります。
松姫22歳のことです。「信松尼」の「信」は、信忠の妻であるという
意味が込められていると伝えられています。
*(手記は八王子図書館より抜粋)