昨日の八王子まつりの続きですが・・・
八王子まつりといえば、今では山車のパレードが名物で、他県からも
写真撮影をしにくるまで評判だそうです。
私も素人写真を何枚も撮ってしまうほど、魅力的な山車です。
さてさて、八王子まつりで「山車まつり」としての始まりは
いつころからなのでしょう?
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「 山車のはじまり 」
甲州街道に面した旧市街地は、江戸時代には八王子(横山)十五宿と
呼ばれ、商業地として発展していました。現在の16号を境に、東側は
八幡八雲神社の氏子、西側は多賀神社の氏子地域に分かれていました。
氏子とは、その土地の守り神をまつっている地元の人々のことをいいます。
町の人々の力が大きくなるとともに、各町内では、競い合うように山車が
作られるようになり、祭りの際に山車がひかれるようになりました。
江戸時代の享保年間 1716年 ~ 1735年 から山車がひかれる
ようになったといわれています。
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山車の歴史は古いのですね。
★(山車の意味と役割)
山車とは、高いところから訪れる神様を、お迎えして祭りの場に
運ぶためのもので、美しく飾った依代〔ヨリシロ〕(神様がとどまるところ)を
のせた屋台のことえをいいます。
祭りのときには、神様と地域の人々が一体となって楽しみ、神様に喜んで
もらおうということなのです。次第に山車そのものが祭りを盛り上げる主役に
なり、さまざまに工夫され、祭りを彩るようになりました。